UFO事件簿

UFO事件の真相

遠く中世から、近代で言うUFOの目撃談は多数報告されていた。古代文明の遺跡からも異星人のような姿をした土器や壁画が見つかっており、日本の土偶もそのひとつである。NASAは「土偶の着ている衣服は現在考案されている理想的な宇宙服に酷似している」と興味を示した。しかもこの土偶は日本全土からも見つかっている。これらのことから、超古代にも人類と異星人の交流があった可能性がとても高い。UFOは現在も世界中で目撃されており、その形状も大きさも、目撃した時間帯もまちまちである。いわゆる宇宙人らしきものとともに目撃される例もある。例えば、アポロ15号が撮影した写真にも、UFOの窓を通して二つの人影らしきものが確認できる。
飛行機からの目撃例が多い他、なぜか軍事施設や原子力発電所の近辺、戦争中に目撃される例(第二次世界大戦中のフー・ファイターなど)が多い(9.11事件(同時多発テロ)の際にも、2機目が突っ込んだ前後23秒ほどの間、UFOを付近で目撃したという証言が多発した。マスコミの写真にもしっかり写っているので、信憑性は高い)。その為、下記のように政府機関や軍から公式に未確認飛行物体であると認定されるケースも多い。また、アメリカのジミー・カーター大統領は、自ら未確認飛行物体を目撃したことがあると公に認め、大統領在任中には情報公開法に基づいて多くの政府による未確認飛行物体情報を開示した他、カーターの後任であるロナルド・レーガン大統領も、公式の記者会見において未確認飛行物体の存在を認める発言を数回に渡り行っている。ただしこの場合、未確認飛行物体(UFO)とは「自然現象か鳥か航空機か、あるいはそれ以外の物か判別できない物体」と言う意味であって、必ずしも空飛ぶ円盤やエイリアンクラフトを意味しない。
UFOを撮影したという写真も数多くあるが、これらについてはその多くが気象現象の誤認、もしくはトリック写真であると判明している。一方、そのような結果とならなかった残りの写真を「空飛ぶ円盤、エイリアンクラフトが実在する」証拠であるとする人々もいる。

  

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フー・ファイター事件

中世からUFOの目撃談は多数報告されていたが、近代においては、第二次世界大戦中に未確認飛行物体が戦闘が激しい地域を中心に度々目撃された。「フー・ファイター」とは連合国の兵士達の間で使用された「未確認飛行物体」の総称である。夜でも眩いほど発光しながら正確な編隊を組んでいたり、信じられない速度で飛行していたようである。 アメリカ本土付近で目撃された際は「ナチスの新型爆撃機だ」「大日本帝国が秘密兵器を飛ばした」、「近海に日本の大艦隊がいる」、「ついにドイツの科学力と日本の航空技術が結ばされてしまった」など、アメリカ軍の間では様々な噂が飛び出したようである。実際、当時のドイツは原爆やV2ロケット開発に着手し世界一とも言われている圧倒的科学力を持っていたため、戦後になっても実はドイツは円盤型の超音速戦闘機を完成させていたのではないか等の憶測を飛ばす事になった。そのせいか、架空戦記ではナチス・ドイツの円盤型戦闘機などがよく登場したりする。逆に、連合国側だけでなく日本軍やドイツ軍でも未確認飛行物体が目撃され、戦地で噂になっていた。

  

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ケネス・アーノルド事件

初めて空飛ぶ円盤が一般的に知れ渡るようになったのは、1947年6月24日にアメリカ人のケネス・アーノルドが、アメリカ、ワシントン州のカスケード山脈にあるレーニア山付近の上空を自家用飛行機で飛行していた際に、レーニア山の上空を飛行する9機の奇妙な物体を目撃し「投げた皿か円盤が水面上をスキップするように凄いスピードで飛んでいた」と報告したのが最初といわれている。地元アメリカのマスコミはその物体を空飛ぶ円盤と名付けて大々的に報道し、その後同様の目撃談が相次いで報告された。この事件を受け、アメリカFBIのジョン・エドガー・フーヴァー長官は直後の6月30日にUFOの目撃例を調査するプロジェクトを発足させた。
ケネスは40kmほど先に1520m大の物が見え、特徴もはっきり分かったと述べているが、40km先の物の細部まで観察するのはいかに視力が良くても困難なこと(20m先においた1円玉の模様を判別するに等しい)、熟練したパイロットであっても距離感を掴み損ねることは珍しくないことなどから、集団飛行する鳥か、観測用の気球を見間違えたのではないかという指摘もある。
ちなみに、アーノルドは未確認飛行物体の形状ではなくその飛び方を説明するためにSaucerという語を使ったのであるが、報道で「空飛ぶ円盤」という呼び方が定着して以降は円盤型のUFOの目撃例が多くなったのは注目すべき点であろう。
この事件以降、目撃談が多く報告されるようになり、冷戦下のアメリカは一大UFOブームとなった。

  

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ワシントン事件

1952年7月19日から27日にわたって首都ワシントンD.C.上空に68機ものUFOが現れ大勢の市民の目の前で飛び回り、ナショナル空港に着陸する旅客機を追跡、迎撃に上がったアメリカ空軍のロッキードF-94B戦闘機を取り囲んだりするという事件が発生した。この際、レーダーにもそれらしき反応があった。その後、アメリカ当局はこれを逆転層による気象現象と説明した。
一説にはロズウェル事件で墜落した、UFOから回収した通信機器がワシントンD.C.にある政府研究機関に運ばれ、通信機器をいじった際に信号を発信し、信号を傍受したUFOが飛来したと言われている。

  

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ロズウェル事件

ケネス・アーノルド事件の直後に起きた、いわゆる「ロズウェル事件」は極めて有名であり、複数のフィクションにおいて何度も題材にされているほどである(ロズウェル - 星の恋人たちなど)。これは、アメリカ・ニューメキシコ州のロズウェル近郊に「UFOが墜落し、その残骸が軍によって回収され秘匿されている」というものである。
1947年6月14日、ニューメキシコ州ロズウェル近郊にある牧場で、マック・ブレーゼルは牧場内に散乱した金属片を発見した。7月に入ってブレーゼルと彼の家族は金属片を集め、保安官のジョージ・ウィルコックスに通報。ウィルコックスはロズウェル空軍基地に連絡した。7月7日の午後、基地からやってきた2人とブレーゼルは残りの破片を捜してゴムや金属箔を見つけたのち、元の形を復元しようとした(が、上手くはいかなかった)。翌朝、破片は基地へ持ち帰られた。
7月8日、ロズウェル基地付け報道官のウオルター・ハウト陸軍中尉が「陸軍航空隊がロズウェル近郊の牧場に墜落した空飛ぶ円盤を回収した」と発表し、マスコミの注目を浴びた。しかし同日中にロジャー・M・レーミー空軍准将が「発見された空飛ぶ円盤は軍が使用している気象観測用の気球だった」と訂正を行った。後に行われた発表では残骸も公表されて、事件はすぐに忘れ去られた。それから30年以上、UFO研究家も含めて誰も関心を持つことは無かった。
しかし1978年になって、破片回収を行った軍人ジェシー・マーセルに対してUFO研究家がインタビューを行った際、マーセルはこの事件を軍による隠蔽とする意見を表明した。この話題はUFO愛好家の間で関心を持たれるようになり、1980年にはタブロイド紙「ナショナル・エンクワイアラー」がマーセルへのインタビューを載せたことで、広く世間で知られるようになった。

  

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ロズウェルUFO博物館

「ロズウェル事件」が有名になると、既に30年以上経過していたにも関わらず、軍の圧力があったとする証言や「政府の秘密文書」などが多数表れるようになった。「ロズウェル事件の際に回収した異星人の解剖フィルム」なるものまでが現れた。1997年には、アメリカ政府より正式報告書「ロズウェル・リポート」が改めて発行された。この報告書では「当時墜落したのは実は秘密実験に使用されていた気球で、後に発見された異星人の死体と言われるものは高度での人体への影響を調べるための観測用ダミーである」としている。
政府見解を信じない人々の全てがエイリアンクラフト説というわけではなく、他にも様々な説が唱えられている。その1つとして、1940年代から開発されてきた電磁力推進方式の円盤型航空機をアメリカ軍が改良・製造する過程で、飛行試験中の機体が墜落したのではないかという説もある。この説は異星人などの存在を必要としないが、電磁力推進方式の航空円盤が実際に高空を飛ぶほど開発が進まなかったため、あまり信じられていない。
なお、この事件で有名になったロズウェルは、その後もUFO目当てに世界中から訪れる観光客が後を立たず、現在は町の中心地にUFO博物館が建設され、町のところどころでUFOや宇宙人を模った土産物が売られるなど、まさにUFOがこの町にとっての町おこしの道具になっている。同じようなことは、ロズウェル事件で回収されたUFOが秘密裏に運ばれ修理されたといわれるネバダ州の砂漠地帯にある空軍基地、「エリア51」周辺でも起きている。

  

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BOAC機事件

1954年6月、ニューヨークのアイドルワイルド空港を離陸し、ロンドンへ向かった英国海外航空(BOAC・現在のブリティッシュ・エアウェイズ)のボーイング377ストラトクルーザーモ旅客機のハワード機長は、上空を飛ぶ巨大な葉巻型のUFOとその周囲を守るように飛ぶ小さな6機の小型UFOを目撃した。
同機とUFOはしばらく平行して進み、やがてカナダのニューファウンドランド上空でアメリカ空軍の戦闘機が接近すると、小型UFOが葉巻型の母船内に収容されるとともに母船が縮小し、やがて飛び去った。なお、この一連の動きは同機の他のパイロットや客室乗務員、乗客によっても目撃された。

  

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トリニダーデ島事件

1957年12月から翌年の1月にかけて、ブラジル海軍が国連地球観測年に向けての観測基地を南大西洋に浮かぶトリニダーデ島周辺に設営する際に、数回にわたり観測隊員や島民が円盤型の飛行物体や光を目撃した。
1958年1月1日にはブラジル海軍長官と観測隊員がトリニダーデ島周辺を飛行する光体を目撃。同月15日と16日には海軍練習船アルミランテ・サルダナ号が観測船としてトリニダーデ島に接近したときに円盤型の飛行物体が出現。乗船していた多くの乗務員が目撃し、カメラマンのアルミーロ・バラウナが写真の撮影に成功した。後にブラジル海軍はこの写真を公開するとともに未確認飛行物体の存在を公式に認めた。

  

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調査船「開洋丸」の遭遇記録

1998年の日本版「サイエンス」誌9月号に、観測・調査の複数の専門家が目撃証言した科学的記録として、水産庁調査船「開洋丸」の遭遇記録が掲載された。
一度目の遭遇は、1984年12月18日に、南アメリカ大陸南端付近のフォークランド島付近で 不規則な運動をする発光物体を観察。二度目の遭遇は、1986年12月21日に、北緯26度の日付変更線付近において、船の周囲でマッハ4の速度で音もなく飛行し180度ターン等の不規則運動をする、巨大タンカーほどのレーダー映像を確認したが、肉眼では見えない不可解な現象に遭遇した。飛行物体は「船の真上を通過したとき自動車ほどの音を出した後、最後に発光して消えた」との記録を残している。
日本テレビ系の番組『特命リサーチ200X』では、正体はアメリカで行われたEMPの実験に関連した現象だと言う説が紹介されていた。

  

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メキシコ空軍UFO事件

2004年3月5日に、メキシコ空軍が十数機のUFOに遭遇し追尾した事件。実際には、海上油田の油井の炎を誤認しただけ。

  

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